記事内に広告が含まれます

当サイトではアフィリエイト広告を利用しています。

劣等感に悩むあなたは演じた自分を生きているかも 加藤諦三『自分のための人生を生きているか』

心と向き合う時間

私の人生、成人してからは思い返せばほとんどの時間を悩みに費やしてきました。

大きなターニングポイントは公務員を抑うつ状態で休職して退職したことでした。私はすっかり人生の方向性を失ってしまいました。

頑張って手に入れた、私を証明するものを全て失ったと思いました。

来る日も来る日も、過去を振り返り、自分を責めて苦しんでいました。

「あの時どうすればよかったのだろう」

どうして自分はこんなに苦しいのかわからないまま2年経ちました。

過去になることで、少しずつ生々しい傷は癒えていったけれど、自分の腹の底、核心にはずっと癒えない苦しさがありました。

たくさん本を読む中で加藤諦三さんの本に出会い、自分の苦しさの原因の一部の謎が解けた気がしたので記事にまとめました。

こんな方にお勧めの記事です
  • 他人と自分を比較せずにはいられない
  • 劣等感で悩んでいる
  • 八方美人で疲れる
  • なぜ自分はいつも悩んでいて苦しいのかと感じる

長くなる予感しかありませんが、よろしければどうぞ!

スポンサーリンク

加藤諦三『自分のための人生を生きているか 勝ち負けで考えない心理学』

今回読んだ本はこちらです。

加藤 諦三(かとう たいぞう、1938年〈昭和13年〉1月26日 – )は、日本の社会学者、心理学者、評論家。早稲田大学名誉教授、早稲田大学エクステンションセンター講師、日本精神衛生学会顧問、ハーバード大学ライシャワー研究所アソシエイト。1972年からニッポン放送のラジオ番組『テレフォン人生相談』のパーソナリティを務める[1]。

Wikipedia

私と加藤諦三さんの本との出会いは、こちらの記事からお読みいただけます。

この本で繰り返される大切なテーマ

加藤諦三さんの本を初めて1冊通して読みました。

この本の中で、加藤さんは読者に伝えたい一番大切なメッセージを何度も何度も繰り返し登場させています。読むことで、そのメッセージが染みてくる感覚がありました!

『自分には自分の人生がある』

この本が言いたいことは『自分には自分の人生がある』と気づくこと

この言葉が、この本の中で一番の核となる言葉です。

「それって、当たり前のことだよね…」

と私も冒頭で思いました。

しかし読み進めるにつれて、

私は現在「自分の人生を生きる」ことが出来ておらず

「自分の人生を生きる」ためには大きな大きな課題があることに気付かされたのです。

強迫的に比較してしまう人(比較せずにはいられない)

比較したくないのに、せずにはいられない

他人を羨む気持ちに妬みが入っていたら要注意

比較していいのは、過去の自分と現在の自分だけ

他人を見て、「あの人のようになりたい」と思うだけにとどまらず、「惨めさ」「妬み」など不快な感情に悩まされているのなら、それはどこかで自分が間違えている証しと加藤さんはいいます。

不快な感情
  • 現在の自分が惨め
  • 妬む気持ち

人と自分とを比較する人は、恐怖感があるから傷つきやすい。

失敗すると傷つく。拒絶されると傷つく。すべての人に優越したいという願望があるから、人と自分を比較する。

劣っていると意識するにもかかわらず、優れたいと願う。願いが強ければ強いほど劣等感は深刻である。

加藤諦三『自分のための人生を生きているか』P54

そして、こういった不快な感情で悩んでいる人は、心の内的障害があるとしています。

ここまでで、

強迫的に比較する人

=自己蔑視している人

=自尊心が傷ついている人

=劣等感のある人

と本の中でつながっていきました。


私は、自分と他人を比較しまくって常に疲弊しています。他人の事を考える⇒その人と自分を比べる

という流れが脳内の回路で強烈に結びついている感じがするほどです。

まさに、比較せずにはいられないという感じで、思考の癖が脳にこびりついてしまっている感があります。

私は現在、働けていないのでワーママを見ては羨ましくなり(そしてそうできない自分を責めて落ち込む)、前職の同期の事を考えては、仕事を続けていられたら子どもにもっとたくさんの事をしてあげられる生活ができていたのに、と嫉妬してしまいます。

私のこれらの心の動きも、後半理由がわかります!

結果ではなく、過程を見るべし

劣等感に苦しむ人=結果ばかり見る人⇒過程に目を向ける必要がある

自分が羨み、妬む相手の結果だけに目をむけるのではなく、その相手が結果を得るために払った努力にも目を向けることが必要です。

これは本当にその通り!

同期のワーママたちは朝早くから子どもを保育園に送っていき、急な発熱で仕事を休んだ後の業務のリカバリーもこなし、家事と仕事を両立させています。

私も少しの間そんな生活を続けていましたが、とてもとても大変な日々でした。彼女たちが払っている努力に目を向ければ、手放しで彼女たちの全てが羨ましい訳ではないと気づくのです。

強迫的に比較してしまう理由

自分と他人を「強迫的に比較する」のは、他人に優越したいという劣等感と、他人が恵まれているのが許せないという憎しみがあるからである。

強迫的に比較している人は自分の劣等感と憎しみに気がついていない。

すべてにおいて、すべての人に優越したいという気持ちがあるから、つまり「基本的不安があるから」他人と自分を強迫的に比較する。

加藤諦三『自分のための人生を生きているか』P59

この、基本的不安感”も重要な概念だと感じました。

基本的不安感のある人は、自分の心の中に問題を抱えており、他人とどう接するのかにも影響があるといいます。この基本的不安感により健康な人間関係ではなく、不健康な人間関係を築くことになります。

自分の核心にも、この基本的不安感があるのでは…?!と思いました。

この不安感はどこから来るのでしょうか

【超重要】あなたはまだ、あなた自身になっていないのかもしれない

この本の中で、私が最も自分に腑が落ちた感覚があったポイントはここでした。

劣等感のある人は不得意分野で生きている

もし今、劣等感に悩まされている人がいたら、そういう人はシカなのに海にいるのである。

自分の不得意分野で頑張っている人である。

シカが草原にいたら劣等感に苦しめられない。

生きるのがつらいのは、自分が猫に生まれたのに、自分を鷹だと思って生きているようなものだからである。

すると、自分が猫なのに鷹と比較する。

加藤諦三『自分のための人生を生きているか』P108

唐突にシカだの猫だのがでてきてびっくりしたかもしれません。(いろんな動物で同様の例えがたくさん登場します)

しかし、この本の根幹部分ココなのです!

私は自分の不得意分野を働く場所として選んでしまっていたのかも!

しばらく自己分析の話になるので、不要という方は飛ばしてくださいね

私自身も不得意分野で働いていた

劣等感を感じている人は、不得意分野で生きている人

私は公立学校で事務として働いていました。

就活の際は、民間は地元のJAだけ受けて、あとは県警と国立大学法人と地元の市役所を受けました。

仕事を選んだ理由
  • 父が公務員だったから
  • 区役所は不特定多数が相手なのに対し、学校なら関わる人が決まっている

今思うと、民間も落ちていたので、不合格だったらどうするつもりだったのかと思うんですが、運よく仕事に就くことができました。

今思うと、親が納得できるような無難で堅実な道を選んだようにも感じます。

2年目で仕事に向いてないことを痛感

詳細は省きますが、自分に仕事が向いていないということはすぐにわかりました。

経理・給与・職員の福利厚生、こまごまとした用品の発注、雑務をしていました。経理は支払だけではなくて年間の予算をどのように計画して各教科や部門に予算配分をしていくかといったことも守備範囲でした。

日頃から新しい機器や設備の知識として持っている先輩は、同じ予算配分でも学校をさらに良い環境へ導いていました。淡々と定型の仕事をこなすよいうよりは、より創造的に仕事をしていると感じました。

その他にも職員の扶養家族の認定や、資格喪失に関わる見極め、通勤経路の認定などなど…私はまるっきりこういうことに向いていませんでした。

子どもの頃から、理数系科目が苦手でした。

経理や認定といった作業は、数字力(数字やデータから必要な情報を読み取り、分析し、活用する能力)が低い私には苦しい作業でした。

もちろん、研修やフォロー体制もあったのですが、それでも、その仕事を遂行する能力が自分には欠落している気がしてしょうがなかったです…。(大人の発達障害を自身に疑うほどでした)

2年目からは一人職場だったので、気軽に聞くこともできず、

いつも”自分のやり方が間違っているかもしれない”という不安を抱えていました。

最後は教育委員会のチェックが入るので、決定的なミスはありませんでした。(定期監査もあります。)

不得意分野で怯えながら働く

私は大学生までも悩みやすい性格ではありましたが、決定的に病む路線にいってしまったのは仕事を始めてからだということに、この本を読んで気づきました。

私の中では、

不得意分野=数字力が必要な作業

でした。

うまく言語化できないのですが、何度も数をこなせば身につくようなものではなくて脳の部分のその作業を司る分野が機能していない感じ、でしょうか…。やってもやってもわからない、身につかないからとても不安でした。

ちなみに、個人情報が入った重要書類を庁内便に乗せる際、封を閉じた後不安感に襲われて何度も開封してまた封を閉じる作業を強迫的に繰り返したりもしていました。

ちなみに、家の戸締りも何度も確認して出先でも怖くなるタイプです…

それでも、やりがいや楽しいことはありましたし、チェックリストを作ったり手帳で管理したり、同期に助けてもらったりして日々過ごしていました。

公務員試験には、数的推理という理数関係の問題もあります。それらは合格ラインに達してました。仕事を初めてから、学校の勉強ができるのと、実際に仕事ができるのは違うのだと身に染みました。

そんな中、仕事上のある人的トラブルによって私は抑うつ状態となりました。その後休職して退職しました。

そのトラブルに遭うまでは、自信がないながらも働けていましたが、抑うつ状態になる下地は、トラブル以前に完成していたのかな、と今回思いました。

不得意分野で働くことにより過度の精神的なストレスにさらされていたと思います。当時は休みの日も仕事の心配ばかりしていました。人間関係も辛かったです。

不得意な領域でがんばらない

私が強迫的に比較するようになったのは、不得意分野で働いていたことが関係あるかもしれない、というところまできました。

私はシカで、本来は草原にいるべきだったのに海(不得意分野)に居たのかもしれない…。

強迫的に比較する人

=自己蔑視している人

=自尊心が傷ついている人

=劣等感のある人

=不得意分野で頑張っている人

と本の中でつながっていきました。

本の中では、比較されて育った人は他人が褒められると自分の価値が下がったように感じ、だから他人を認められないと指摘しています。

比較されて育った人=支配されて育てられた=自己を確立できない=自己蔑視

本の中には加藤さん自身と親の関係や、悩みに悩んだ青年時代が綴られています。

別記事で紹介した加藤さんの著作の中でも子供の頃が関係しているとありました。

私は両親から兄弟と比較されて育った自覚はありません。しかしココを読んで他人が褒められると、褒められていない自分の価値が下がるような気持ちがあると自覚しました。

ちなみに【劣等感】と【比較すること】の前後関係については劣等感(自己軽蔑)のほうが先だと加藤さんは述べています。

つまり自分で自分を軽蔑してしまうから、他人と自分を比較してしまうので、比較するから劣等感に悩まされるのではないということである。

加藤諦三『自分のための人生を生きているか』P78

自分で自分を軽蔑するという表現がとても自分にしっくりきました。つまり劣等感ということなのですが、自分の中に世界で一番自分を嫌っていて自分を責めてくるモラハラ上司を住まわせている状態です。辛すぎます…。

「比較を止めれば、劣等感から解放されると思っていたけれど、逆だとわかった」と加藤さんは言っています。

弱点はあってもいい

加藤さんは、本の中で「弱点を持ちながら生きる生き方を探す」とも書いています。

「私には私の人生がある」=自分の不得意な領域で頑張ることをしない=弱点を持ちながら生きる生き方を探す

自分の弱点を知られないように、他人に見破られないように過剰に気にする人は、他人が不当に重要になるとあります。

他人が不当に重要になるというワードも何度も登場します。


前職は同じ職が自分しかいなかったので職場で全てを自分1人でカバーする必要がありました。また、数字力が必要な領域が多くそれが辛かったです。どんな仕事でも自分に不得手な領域はつきものだと思います。しかしその苦手領域の分量が少ない(得意ではなくても、淡々とこなせる仕事が多い)仕事が理想だなと私は思いました。

管理職や他の職員、同期や先輩に自分のミスを指摘されないかと、私はいつもビクビク怯えていました。他の職員という存在が自分を脅かす可能性のある敵となり、自分の中で不当に力を持つ存在にしてしまっていたということだと思います。

自分自身ではない人を演じる

自己執着的な親切心を抱いていないか?

人の二面性

人は無理して親切をすると、相手を嫌いになる。したくないことをしたのだから面白くない。

(中略)

本当に「相手のために」という相手への愛情から親切をすれば、ますます相手が好きになる。つまり自分がした行為が、本当に親切であるか、それとも自己執着的親切であるかは、その後のその人の気持ちを見ればわかる。

加藤諦三『自分のための人生を生きているか』P117

ここも、とてもとても身に染みました…。

今まで、周りの人にしてきた親切の、いったいどのくらが真の親切心だっただろうかと振り返ってしまいました。

本心ではやりたくないけれど、

”相手に良く思われたい”

”嫌われたくない”

という意識で行った自己執着的親切によって、相手の事を嫌いになる…身に覚えがありすぎます。

これらの行動は、「実際の自分とは違う自分を演じている=自分ではない自分を生きている」ことになるのです。

自分自身であることを決心すれば、人生の目的がわかる

自分自身であろうと決心することは、人間の中で最も重要な決心

「自分には自分の人生がある」という生き方をしていれば、自然と自分の人生の目的が見えてくる。

加藤諦三『自分のための人生を生きているか』P142

私は人生の目的について、最近よく考えていました。この本をきっかけにして、さらに深い所まで考えを巡らすことができました。

自分を演じる期間が長すぎて、本来の自分を見失っているかもしれない…と気づくことができました。

自分の本性が出せる場所があるか?

ここにいるときは何もかも自分をさらけ出してホッとしていられる、あるいは、いいたいことをいってもいいというような場所、あるいはこの人といるときは何か安心していられるというような人を持っていない場合に人生の目的を感じることができなくなる

加藤諦三『自分のための人生を生きているか』P144

偽りのない自分をさらけ出せる人や場所があることは、「自分の人生を生きる」ことの条件なのですね。

私は、退職してからこのブログを立ち上げました。

頭の中でいろいろと考えていることは、リアルな人間関係ではなかなか共有が難しいです。(過度に心配されたり、相手が無関心だったりして話せない)

このブログは、何もかもさらけ出している貴重な場となっていると、今気付きました。

自分でなければできないことを見つける

活動こそ人間の出口である

加藤諦三『自分のための人生を生きているか』p146

必ず自分でなければ、できないような固有なことがこの世にはある。それがわれわれに発見されることを待っている。

加藤諦三『自分のための人生を生きているか』P159

加藤さんは、手や体を動かして、情熱をもって活動をすることが、「自分の人生を生きる」ことに繋がると言います。

自分にしかできないことを見つけられたら一番ですが、ハードルが高いのでまずは、苦手意識がない領域を探すことから始めたいです。

まとめ 自分の不快な感情に気付くことが第一歩

本の中で大切なことは、読者である私を諭すように繰り返し何度も登場します。それが「自分には自分の人生がある」です。

自分と他人とを過度に比較してしまったり、不快な感情に飲まれてしまっていたら、ぜひ一度こちらの本を手に取ってみてください!

記事はとても長くなってしまったのですが、本に書かれていることのほんの一部をかいつまんでご紹介したにすぎません。興味深いワードが他にもたくさん登場するので、あなたにとってもきっと新しい発見があると思います!

記事内で、飛躍してしまっている箇所があるかとおもいますが、本を読んでいただけると納得できると思います。

最初から最後まで、通して読み切ることで、「自分の人生を生きる」が浸透するはずです!

この記事を読んでいただいたあなたも、きっと人生悩みに悩んで歩んでいらっしゃると思います。私も一緒です!親しい友人やパートナーにすら、悩みが重すぎて引かれるかも…とこのような話題を話せる人が私にはいません。でも、一人ではありません!みんな話さないだけでいろいろな悩みを抱えていると思います。

一度きりの人生。悩んで、笑って、共に全うできたらいいですね!

\考えすぎたら、自分を癒す時間を♬/

悩みすぎるあなたにおすすめの記事あります!何かヒントが見つかるかもしれません

スポンサーリンク
スポンサーリンク
心と向き合う時間
シェアする
cozmagaをフォローする
タイトルとURLをコピーしました