過去のことを思いだして書いています。当時は抑うつ状態で休職していました。子どもを保育園に預けていることに罪悪感を感じていました。ひょっとしたら、今同じように悩んでいる方もいるのかな、と思って書いてみました。
登園拒否の息子と泣いた朝

次男が3歳の頃のこと。私は2度目の休職に入りました。診断理由は抑うつ状態でした。抑うつ状態とは、うつ病の診断基準は満たしていないものの、うつ病の症状がいくつか見られる場合を指す言葉です。
役所へ届け出をして、保育園へ引き続き通うことができました。
仕事をしている時は夫が車で息子を保育園まで送ってくれていました。休職してからも、夫が送ってくれることはあったのですが、私もたまに送りにいっていました。
夫の時は泣かないで登園している息子でしたが、私が送っていく日は行きたくないと泣く事もありました。
そんな時、私は子供に「頑張っていこうね」なんて言えませんでした。
私は休職していたので、嫌がる息子を無理やり登園させるのが苦しかったです。とはいえ、家で元気いっぱいの子どもを見る気力もありませんでした。
教室に入ってしまえばけろっとして、楽しく過ごせることがわかっていたけれど、子どもを先生に引き渡してからは、涙をこらえて急いで自転車に乗って帰宅していました。

当時は私も情緒不安定で、子どもたちにも、私の揺らぎが伝わってしまっていたように思います。朝玄関で、私も子どもも泣いてしまうことが何度もありました…。
颯爽と出社していくお母さんたちを見るのが辛かった

子どもを保育園に預けて、颯爽と仕事へ向かうお母さんたちが眩しくて、羨ましくて、見るのがつらかった。
仕事を休んでいる自分が子供を保育園に預ける資格などないと落ち込み
私なんて母親やる資格なんてないと落ち込み
それでも、子どもと離れる時間があったから、わたしは少しずつ気持ちの整理をすることができました。
そして、退職の決断をして次の春に保育園を退園して幼稚園に入園しました。
退職、保育園を退園して幼稚園へ入園

次男は2か月だけ小規模保育園、3歳から大規模保育園に移って、年中から幼稚園に移りました。
私の都合で振り回してしまいましたが、3か所の園の先生たちにたっぷりと愛情を注いで保育して頂きました。
最初の園は定員6名の小さな園で、戸建ての民家を改築した保育園でした。お昼ご飯はリビング(遊び場)の横の普通の台所で調理師さんが作ってくれていました。
子どもたちは柵から調理している様子をいつも見ていたそうです。お誕生日にはおやつをリクエストすることができました。
調理師さんが作ってくれたお弁当をもって、近くの公園に行く日もありました。おうちの様な温かい保育をしていただけました。園の小さな庭先でチューリップを育てたのもよい思い出です。
2つ目の園は、モンテッソーリ教育に力を入れている園でした。丸シールはり、細切りの画用紙を編むように配置したりする作業を楽しんでしていました。
大きな体育館があって、朝早く登園した子は遊べました。1年しか通わなかったけれど、楽しい思い出ばかりです。
初めてのお遊戯会でネズミ役をやったからか、今でもネズミが大好き。
2年通った幼稚園は、人生初ともいえる大の仲良しの友達に出会えました。教室の中ではヤンチャで過ごしていたようですが、ピアニカ、なわとび、サッカー、英語あそびなど、あたらしい事にたくさん触れ合わせてもらって盛沢山でした。
そして現在思う事 うつ休職中でも保育園 罪悪感持たないで

今でも、どうしようもなく泣けてくること、落ち込むことがあります。
仕事は今もできていません。
将来のことを考えると不安になることもしょっちゅうあります。
けれど、わかったことが1つ。
私が苦しくても、病んでいても、子どもたちは健やかに育っているということです。
私が苦しんでいる時、子どもたちは登園し、お友達とたくさん遊んで先生に愛情を注いでもらっていました。
鬱々とした私と家で過ごすのではなくて、登園してもらっていて本当によかったし助けられました。
子どもたちが居ない間私は、1人の時間を静かに過ごせたから、帰宅した子どもたちを笑顔で迎えられました。その時間がなかったら、私はますます追い詰められていたと思います。
今、休職中のお母さんで、子どもを保育園に預けていることを申し訳なく思っている方もいるかもしれません。
けれども、罪悪感は持たなくて大丈夫なのです。休職されている方のための制度なのです。その時間をご自分の治癒の時間にあててほしいと思いました。
まずは自分を癒して、そして子どもたちが帰ってきたときには笑顔でその日あったことを聞いてあげれたら花丸だと思います。

どうぞ、ご自身の心身を大切にしてくださいね
善意を別の人に返す 『ペイ・フォワード 可能の王国』

pay foward 自分が受けた善意を他の誰かに渡すこと(恩送り)
私は元気になったら(なっていなくても)違う形かもしれないけれど、
どこかで誰かに善意を渡せる時がきたらいいなと思っています。休職中にたくさんの方にお世話になりました。保育園に通い続けられたのも、福祉制度の1つかもしれませんが、保育園の先生たちの優しさを含めて沢山の善意を受け取ったと思っています。
その考えを私がもらったのは、映画『ペイ・フォワード 可能の王国』でした。10代の頃に観た映画です。当時、『A・I』や『シックスセンス』で一世を風靡した子役のハーレイ・ジョエル・オスメントさんが出演しています。
世界を良い方向に変えるためのアイディア 自分が受けた善意を別の3人に渡す
ラスベガスに住むアルコール依存症の母と、家を出て行った家庭内暴力を振るう父との間に生まれた、少年トレバー。
中学1年生(アメリカでは7年生)になったばかりの彼は、社会科の最初の授業で、担当のシモネット先生と出会う。先生は「もし自分の手で世界を変えたいと思ったら、何をする?」という課題を生徒たちに与える。生徒達のほとんどは、いかにも子供らしいアイディアしか提案できなかったが、トレバーは違った。彼の提案した考えは、「ペイ・フォワード」。自分が受けた善意や思いやりを、その相手に返すのではなく、別の3人に渡すというものだ。
トレバーはこれを実践するため、“渡す”相手を探す。仕事に就かない薬物中毒の男、シモネット先生、いじめられている同級生…。 いろいろと試みるものの、なかなかうまくいかず、「ペイ・フォワードは失敗だったのではないか」とトレバーは思い始める。しかし、トレバーの気づかないところで、このバトンは次々に受け渡されていた。しかし、トレバーの気づかないところで、このバトンは次々に受け渡されていた。
Wikipedia

20年前くらいに観たのでラストがうろ覚えですが、また見てみたい映画です。
ひとりじゃないよ

いま、過去の私と向き合うために、自分の半生?をまとめています。その中で休職中に息子を保育園に送って行ったときのエピソードが思い浮かびました。
まさに今休職中で、私の様に子どもを保育園に預けている罪悪感にさいなまれているお母さんもどこかにいるのかな、と思いました。
他の人が順風満帆に見えたりすることがあるかもしれませんが、多くの人がそれぞれ色んな事に悩んでいると思います。
自分だけが苦しい、と思うかもしれませんが、あなたは1人ではありません。私もその1人です。
そして、苦しくて悩んでいる自分も、受け止めたいと思っています。しょうがない!それが私なんだからと、今そう思います。
煮詰まった時には、外出するのは辛いかもしれませんが、すこし近所を散歩するようにしています。そしたら、すこしマシな気分になれます。そして、スーパーでおいしいデザートを買って帰ってくるのです。自分のことはどうでもいいと、思ってしまいますが、自分のことを大切にケアできるのはやはり私しかいないのです。

まとまりのない文ですが、最後までお読みいただきありがとうございました!
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